不動産ジャーナリスト 大越事務所
>>トップページ>>最新記事>>中国人女性の老師に諭され発奮し、若き乙女からは教えられ・・・
 
メールでのお問い合わせはこちらから
トップへ戻る
大越 武 :経歴
最新記事
活動報告

 


*日本不動産ジャーナリスト会議

*上智不動産ソフィア会

*大学不動産連盟

*(株)レックアイ

*「企業広報」活動について PDFへリンク

*不動産市場の現状と今後の生き残り戦略 PDFへリンク

*「マンション事業をめぐる現在の問題点と今後の展望」 PDFへリンク

*都市におけるマンション開発の基本的視点・基本姿勢 PDFへリンク

シンポジウム: 都市の環境を見直す 景観の保全・創造と再開発 PDFへリンク

 

中国人女性の老師に諭され発奮し、若き乙女からは教えられ・・・

中国語を覚えようと思い立ったのは、中国人の女性教授からきついお叱りを受けたからです。「大越さま、毎回中国に来てくれていますのに、ニイハオとザイチェン(再見)しか言えないのですか。私どもがお宅の国に行くときは、日本語を使うようにしていきますよ。中国語を覚えて来てくださいね。それが礼儀でしょう」と。

あれは十年前のころだったろうか、私が所属している学会で毎年、中国の経済特区などを中心にした視察会をしてまして、私は常連で四川省の大地震跡とか西安の兵馬俑遣跡とかに毎回参加。その年は、上海、南京からさらに奥の安徽省の省都・合肥に入り、経済特区はじめ周辺の都市開発の視察をし、最後は景勝地の黄山に登ってご満悦の帰途、わざわざ見送りに来てくれたその女性教授から、優しい声でそっと私にささやかれたのです。

東京に戻ってのそれからは、(原稿ではいつも恥を書いている(笑い)のですが)今度の中国では“えらい恥を掻いてしまったな”と猛省、中国人女性からそこまで言われたのなら、“ようし、中国語を覚えて、来年はびっくりさせてやるぞ”とばかりに一念発起したのです。

しかし、この歳になって若い学生さんたちに交じって、ピーチク、パーチク中国語を習うのも効率悪く、恥ずかしいなと思い、あれこれ思案投げ首していたところ、タイミングよく仕事で、二十六歳の若き乙女に出会いました。聞けば、彼女は日本語の能力一級試験に挑んではいるが、昼間の仕事が忙しくて、とても勉強しているヒマがないとこぼしていたのです。

「それじゃあボクが、マンツーマンで教えてあげるよ。もちろん、授業料は丸々免除。その代わり、ポクに中国語の基本的な発音の仕方を、教えてくれませんかね」と頼み込み、バーターでの語学勉強を、土・日に集中してやることで合意した。それからは、彼女の弱点の読解カを中心に、とくにカタカナ英語の外来語が弱かったので、そこに重点をおいての模擬問題をレッスン。私は私で、NHKのEテレ講座をテキストにして、難しい声調の四声と基本母音・子音のレッスンを、会話をしながらの猛特訓を受けました。

彼女は福建省の田舎町の出身で、江西省の専門学校を出てから上海近くの日本語学校で日本語を覚え、東京のネット会社に働きに来たという。今も日本の東北地方の田舎町のどこにでも見かけるような素朴で、純情可憐な女の子。父はというと、遠く離れた西域の果て、新疆ウイグル自治区の首都ウルムチで建築材のエ場を経営しているそうで、彼女も中学までウルムチの学校に通い、「私、ピン・パン・チョー(卓球)の大会では優勝したのよ」と、異郷での少女時代の想い出をあれこれ語ってくれました。

ややあって、真剣な面持ちで「父のウルムチでの事業が思わしくなく、心配で心配でたまりません。大越さん、日本の建築関係にたくさん、知っている人がいるとおっしゃってましたね。父のつくっている建築材料が、日本で売れませんかね」と哀願され、そのサンプルの品々を数多く持ってこられ、見せられたのです。「それじゃまず、一緒にウルムチの現場に行きましょっか」といい、半信半疑ながらもウルムチ行きを楽しみにしてはいました。

ほどなく彼女が、「福建省にいる母のところに、急に帰らなくてはならなくなりまして、残念ですが、お別れしなくてはなりません」というので、帰郷のお土産の中に、「餞別」と書いて、わずかばかりのおカネを入れ、もうこれが最後のお別れかな、と思いました。ところがまた、すぐ戻ってきて、「餞別の中におカネが入っていましたので私、ビックリしましたよ。このおカネは、どうしたおカネなのか、と母に厳しく詰問され、叱られてしまいました。中国では、そのような風習がありませんので、私にはわからなくて、ただただ泣いて困りました」と、べそをかいていたので、優しく説明してあげたのも、今となってはいい思い出。

この再会が、本当の別れになってしまった。ある日、彼女は突然、これまでのお礼にと言いまして、高価なエ芸品の贈り物を持って来て、「福建省に帰ります。もう、お会いできません。お世話になりました」と去っていきました。その贈り物の中には、一枚の便せんが入っていまして、それには、次のような九文字が美しいペン字で記されていたのです。

「滴水之恩当湧泉相報」

「滴るようなわずかな恩をもらっても、あふれ出る泉のような恩返しをすべきである」といったような解釈をするそうです。中国にあることわざだそうで、日本のことわざは、その反対のことわざばかりで、「恩を仇で返す」とか、「大恩は忘れる」とかのマイナス思考ばかり。貴重な中国のことわざを、いくつ年齢が離れているのだろうか、二十六歳の乙女に教えてもらいました。彼女は今ごろ、どこに、どうしているのだろうか。

東京駅

上海と杭州の間にある長江デルタエリアの中でも最も豊かな農村地帯の嘉興市(浙江省)の「一九二一クラブホテル」(女性教授の関係者のご案内で一泊)内の眼前からみた「南湖」。このホテルの「一九二一」の名前は、第一回中国 産党全国代表大会が開催された一九二一年に由来している。若き毛沢東らも参加したこの第一回党大会は当初、上海で極秘裏に開催されたが、フランス租界の官憲の摘発危険から急きょ嘉興市に逃亡、この「南湖」という小さな湖に船を浮かぺ、船中で第一回党大会が続行され、綱領と党中央の指導部体制を決議、閉会宜言された。

(2018.07.01掲載)

掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2018.7 夏号 掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2018.7 夏号
掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2018.7 夏号

掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2018.7 夏号

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Copyright(C) 2010 office okosi