2つの巡礼地を訪ねて ―プレア・ヴィヒアと熊野古道―
昨年(2016年)は「聖地巡礼」という言葉が流行語大賞トップ10に入賞するほど話題になったが、ボクも昨年、「まさに、これが本当の聖地巡礼」という強烈な印象を残す神聖な場所を体験してきた。
石畳の参詣道の両脇には巨大なリンガが屹立している「プレア・ヴィヒア」
一つは酷暑の8月、カンボジアとタイの国境にまたがる山頂に建つ天空の寺院「プレア・ヴィヒア(聖なるお寺の意味)」に。世界遺産に指定されたが、未だにタイとの国境紛争地。2年前、ようやくカンボジア側から視察できるようになった。とはいえ、山の麓一帯は、きのうまで長らくポルポトの支配地域だった。どこに地雷が埋め込んであるのか、わからない。不気味だ。事実、近くの休憩したアンロンベンの町は、ポルポトが毒殺されたところという。われわれ上智大学アンコールワット視察団一行は、石澤良昭先生(元学長)の道案内で舗装されたばかりの軍用道路を通してもらい、ユネスコの旗とカンボジアの国旗がはためく中、トラックに分乗して一挙山の上に――。
そこはやはり古代の神々が宿る“祈り”の聖地としてふさわしい景観を醸し出していた。大きな塔門をくぐると、緩やかな石畳の参道が長く続き、両脇には信仰のリンガ(男根)を模した像が整然と並んでいる。頂上近くは霧が立ち込め、中央祠堂は一層神秘的に。回廊から大きな石壁を抜けて外に出ると、パッと視界が360度開け、そこは山頂の平らな広い岩場。断崖絶壁の下は見渡す限りの密林の大平原、緑の一大パノラマが広がる。大きな呼吸をし、下界の俗世の悩み、苦労のすべてが瞬時にして吹き飛んでしまう。まさに古代人が求めてきた安楽の聖地が、そこにあった。
今回、ムリに誘った水戸の高校同級生の畏友・柳町光男映画監督は、「ここは日本の熊野巡礼を想起させる貴重なところだね」とポツリ、感じ入っていた。その熊野を舞台にした彼の映画作品「火まつり」(昭和60年、脚本は地元・熊野新宮出身の芥川賞作家・中上健次の書き下ろし)が昨年10月、渋谷のラブホ通り名画館で1回だけ若手映画監督によって上映されたのを再度観て刺激され、一人すぐさま、熊野古道の秋を訪ねていった。
伊勢神宮を南下して熊野・紀伊山地の深き山々が重なり合う道路を、遠くに熊野灘がチラホラ見える伊勢路方面から熊野古道を分け入った。この深き森の連なる山の神々が、古代から自然崇拝の祈りの対象となって、聖地としてあがめられてきたのだろう。
熊野参詣道は、奈良・吉野大峰山道、和歌山・高野山道や田辺から入る道もあり、いずれの山路もいくつもの峠を越え、厳しい山越えの修行の道。その難行苦行の山路の中が、自然崇拝の祈りの自然信仰の場。巡礼の最後の熊野大社、那智大社から熊野古道・大門坂を下ると、パッと広がる太平洋の大海原――。一挙に自然の開放感にひたれる巡礼の醍醐味がそこにあった。あとは那智勝浦の温泉で癒すだけ。これこそが、あのカンボジア国境のプレア・ヴィヒアと同じ聖地巡礼の極楽浄土であろうか。1年に2カ所もの聖地を見られたことは、至上の喜びであった。
掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2017.1 新春号
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