「青函トンネル」竜飛岬を33年ぶりに再訪し、海底坑道を追体験
2016年3月26日、悲願の北海道新幹線が「新函館北斗」駅まで開業した。
家内が函館・五稜郭と松前城の桜を見に行こうと、急に言い出した。幸運にもキャンセル待ちでGWの前日、ツアーが取れた。僕の方の関心は、そんな満開の桜見物でなく、ツアーの日程に偶然にも入っていた「青函トンネル見学」竜飛岬を再訪することであった。
「ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路は無い。あとは海に転げ落ちるばかりだ。」――太宰治が『津軽』で書いた竜飛岬だ。ここを最初に訪れたのは33年前の1983(昭和58)年。当時、僕は日刊工業新聞で建設省(現国土交通省)と建設・不動産業界を担当。当時の取材メモと建設省の機関誌『建設月報』に書いた記事等のスクラップを取り出してみると、「今年の1月27日に先進導坑が貫通した『青函トンネル』工事の青森側竜飛岬の現場に、厳寒の2月4日、夜行寝台車「はくつる」に乗っていった」と書き出している。
青森駅には5日の朝7:15に到着。すごい大雪で、駅は白一色。津軽線に乗り換え、終点の「三厩(みうまや)」駅に到着するまで、窓の外は吹雪で、ピューピューと風がうなり続けていて、心の中まで凍ってしまう。まさに、阿久悠作詞・石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞どおりで、「上野発の夜行列車、降りた時から、青森駅は雪の中。北へ帰る人の群れはだれも無口で、海鳴りだけが・・・」と、何回も口ずさんでいたのが強く思い出される。
33年ぶりの今、竜飛岬エリアの風景は一変し、何もかもきれいになっていた。
当時泊まったたった一軒の宿「ホテル竜飛」は今も一軒宿で、名前はそのままだったが、きれいに隣地に建て替えられていた。絶景の露天風呂があり、そこからは、北海道は松前半島の山なみが眼前に見え、雄大なパノラマ眺望。真下の海に転げ落ちたところの小さな部落を見下ろすと、当時のみすぼらしい家屋の姿も一変、皆きれいな家に整い、道路も美しく舗装されていた。
竜飛岬真下の行き止まりの部落は、見違えるほどきれいになっていた
当時の「青函トンネル」工事視察は、土工協広報の増田さん(鹿島)引率の下、10数名の記者が、汚れた工事トロッコにガタゴト揺られながら、冷たい地の底、海の底240メートルを往復4時間も潜っていた記憶がある。今は、そこも立派な観光名所となっていて、「青函トンネル記念館」が建ち、その建物の中の地下からは斜坑ケーブルカーに乗って、今は廃止された「竜飛海底駅」近くのトンネルまで降りて現場見学ができる。地上の「ホテル竜飛」では、新幹線が真下を通っていて、通過するたびにゴーッというかすかな音が体験できる。新幹線に乗っていると、「青函トンネル」はわずか10分くらいで通り過ぎたようだ。
掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2016.7 夏号
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