生命倫理(バイオエシックス)と安楽死・尊厳死問題
(はじめに)、この論文は、上智大学マスコミ・ソフィア会とソフィア会との共催事業で、上智大学の発展に顕著な社会貢献をした人を顕彰する「コムソフィア賞」の選考に当たって、推薦候補の一つにあった「安楽死・尊厳死問題」の審査について、選考委員長の大越武氏が、参考見解として提出した資料です。以下は、その論文。
1)、「生命倫理の問題は、個人の自己決定権や尊厳が保障されるべきだ」という考えで、1970年代に米国中心に「終末期の医療をめぐる医師と患者との倫理問題」として提唱された。具体的には、「患者が意識が戻らなかった状態に陥った場合、生命維持装置を外していいのか」という問題である。その後、この問題は限りある医療費をどのように配分するかといったカネのかかる「医療経済問題」や、自分のことは自分で決めるという「自己決定権の問題」として、発展していった。
2)、とにかく「生命を終えさせる措置を認める」とは、「自己決定権」と「安楽死」の問題。「自己決定」でありさえすれば、医師は薬物投与などにより、患者を積極的に死なせる(殺す)ことも可能となり、「安楽死」を認める(正当化される)ようになった。一方、「尊厳死」は「安楽死」と若干違っていて、「延命治療はしない」という考え方である。医師の医療倫理に反して、患者の治療をしないのだから「消極的安楽死」とも言われている。また、「脳死」もこれと同じ文脈で「医療経済問題」の中から生まれてきた。
3)、「安楽死」は2001年に、オランダで最初に合法化され、ベルギー、ルクセンブルグ、カナダ、スイス、オーストラリアなど9か国で、米国ではカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州で合法化された。これら新教国ばかりか、スペイン、ポルトガルのカトリック旧教国でも合法化されているし、イギリスでも2025年6月、下院で合法化法案が可決され、合法化目前となった。
日本では「安楽死」は、「自己決定」によっても「殺人」とされている。その理由は、痴呆症の人などは自己決定が本音かどうか不明だから。しかし、「尊厳死」や「脳死」は、社会的に容認されるようになってきている。
4)、いずれにしろ、多くの異論や問題点が当初から、指摘されていた。その一つが、
「人間の命」をどのように考えるか、である。「安楽死」と「尊厳死」を推進する人の根拠としたのは、「人間の命」は「命でありさえすればよい、というものではない」とし、「生命尊重は人間の名に値する生命についてのみ適用される」という論理。
これに強く反対したのは、宗教界(キリスト教もイスラム教、仏教も)や、人権派団体、障害者の人たちで、「生きる資格のある者と、ない者に分ける考え方で、よくない。生ける者はすべて尊厳があり、区別することはできない」と反論する。すぐに「優生思想」に結びつく、としている。こうした反対の根底にあったのは、ナチス・ドイツがユダヤ人虐殺の前に、まず同じ民族の「障害者」から20万人と言われるドイツ人を殺した(「障害者殺戮計画(T4計画)」。その根っこは同じだ、という反論である。
5)、もう一つの問題は、「自己決定権」の問題。自己決定の反対派の人は、植物人間になった人だけでなく、認知症の人、赤ちゃん・幼児は自己決定できないではないかという。これに対し、「安楽死」「尊厳死」を許容し、合法化する人たちは、「本来の生存権は、自己決定の能力を持つ人間だけであり、それを「人格」という。その社会的能力を失った場合は、人格と言えない」という論理。この考えは、昏睡状態に陥ってしまった人間の生死は、他人が決定しても許されることとなり、認知症や重度の障害者は、「社会の重荷」として、「安楽死」させることも許容される。
こうした賛否両論の議論の上で、安楽死を認める国や州が出てきているわけだが、その根底にあるのが、「医療経済の効率化」なのである。日本では、こうした議論が行われないまま、「尊厳死」や「脳死」が定着している。「安楽死」はまだ、「殺人罪」として認められてはいないが、いったん安楽死を認めると、日本の社会が、人間の死をコントロールできるようになってしまう。
6)、今度の参議院選挙(2025年7月20日)で大躍進した「参政党」が、「終末期における過度な延命治療を見直す」政策を、党の公約に掲げ、①本人の意見を尊重し、医師の法的リスクを回避するための「尊厳死」法制を整備する。(つまり「合法化すること」)、②終末期の延命措置医療費の全額自己負担。その理由は、「70歳以上の医療費は、年間22兆円で、国民医療費全体の半分を占め、85歳以上の医療費は一人当たり年間100万円を超える。このため、欧米ではほとんど実施されていない胃ろう、点滴等の延命措置は原則行わない」と、堂々と主張している。
先日の6月22日の都議選でも躍進し、参議院選挙でも大躍進した参政党が、こうした公約をしていて、40代、50代を中心にした若者の支持者を広げていることを考えると、とても杞憂だとして、無視していくわけには、行かなくなってきている。警戒を怠るわけには、いかない。(終わり)
(2025.7.21)
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