国宝「曜変天目茶碗」に憑かれて
不幸な出来事が起きたり、悩みごとが続くと、対象は何であれ、それに没
頭して、われを忘れることが一番の良薬だ。というわけで、高校時代の在京同級生の仲間の、ワイフをガンで亡くし、一人住まいとなり呆然としているA君、肺ガンでも酒が止められず入退院を繰り返しているB君、神経過敏で不眠と自律神経失調症に病んでいるC君、会話の途中で突然吠えて怒鳴り散らすカンシャク持ちのD君らを誘い込んで、2020年2月中旬、国宝「曜変天目茶碗」を観に行った。
本物中の本物の最高傑作品にでもふれれば、少しは欝な気分も晴れようと
いうわけだ。ボクにしたって心臓に続き、ちょうど1年前に脳内出血で倒れ、若干の後遺症が残るものの、奇跡的な復活をしての病み上がりの身体だ。
折しも、強烈な新型コロナウイルスが日本上陸し、とくに持病持ちの年寄りには、感染すると即天国行きになってしまうと騒がれ始めていた時。2月4日には、同じ仲間のE君家族がクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」
に乗船予定で、横浜港に着いた途端、乗船拒否されてしまったのが運よく、命拾いする結果になった。船内では、新型コロナに感染していたことが判明し、乗務員にまで感染が拡大、死者も出て全世界に注目された。
ボクら一同、「こうして飲み仲間が集まれるのも、これが最後かな」と、つぶやきながら、世田谷・二子玉川にある展示会場「静嘉堂文庫美術館」の急坂をトボトボ登りながら、たどり着いた。
静嘉堂文庫に、青白い神秘的な輝き
今回の静嘉堂の展示は、地味な『磁州窯と宋のやきもの』と銘打って開かれ、国宝「曜変天目茶碗」は宋磁の名品として、ひっそりと、つつましく展示されていた。そこが、この国宝を所有している静嘉堂の奥ゆかしさなのか――。しかし、そこだけはやはり異様な雰囲気を醸し出していた。一番奥の最後のコースの広間の真ん中に独立して、ガラスケースの中ではあっても、キラキラと青白い輝きを神秘的に放っていたのである。
ボクは何度も観ているが、初めて鑑賞する仲間たちは、ガラスケースの前で立ち往生して独占。幸い、参観者も少ない。観終わってから、それぞれが
*「黒い器の中にあって、内側が満点の星の大宇宙のようだった。星雲あり、銀河系あり、はたまた宇宙のブラックホールか。とにかく、大小の斑文が星のように散りばめられ、見る角度によって水晶のように光彩が動いて輝いている。」
*「茶碗の中が、まるで夜空に青く輝く宇宙の空間を見るがごとくだった。」
*「さすがは国宝の中の国宝と言われるだけあって、一度観たら忘れることのできない強烈な印象が残ったよ。絶品だったね。曜変と変わった漢字を使っているが、青紫も交じっていて妖変だ。」
と、異口同音にため息をついていた。
事実、ボクも漆黒の中に散りばめられた丸い斑文は、まるで青雲のようにも見え、その昔、南米のパラグアイの高原地帯で夜空を仰いで見た星の数々を、思い浮かべる不思議さにとらわれた。
それほどに妖しい青い光彩を放つ「曜変天目茶碗」は現在、世界に3点しかなく、その3点ともが日本にあって、すべて国宝となっている。いずれも南宋の時代の作とされ、作者は不明。それが、なぜか中国には一つも残され
てなくて、日本にだけ3つが現存しているというのも不思議な話ではある。
3点の1つは、静嘉堂文庫蔵で、3点の中でも最高の美しさをみせている。元は徳川将軍家のもので、3代将軍家光が、病に伏す乳母だった春日局に下賜され、稲葉家に伝わった。その後、昭和初期に三菱財閥総帥の岩崎小弥太
が購入して入手、静嘉堂文庫の所蔵となった。
2つ目は、大阪にある藤田美術館蔵。当初、水戸徳川家に伝えられたもので、大正7年に藤田財閥の藤田平太郎が入手。3つ目は、京都の大徳寺龍光院蔵で、元は堺の豪商津田宗及が所持していたという。
「国宝・曜変天目茶碗」(静嘉堂文庫美術館の絵葉書から)
世界に4つ目の「曜変天目」が?
記録によれば、もう1つ、つまり4つ目の「曜変天目茶碗」があったそうだ。室町幕府の8代将軍足利義政(銀閣寺を造営した人物)から織田信長に移り、時の最高権力者に所有された天下第一の名品であった。信長はこれを
愛用し、本能寺まで持ち込んでいた。天正10年、本能寺の変で焼失したとされているが、どこかに眠っているかもしれないと、今もって好事家からは注目されているという。
そうした中、4~5年前だったろうか、TVで人気の鑑定番組「開運!なんでも鑑定団」が、「4点目の曜変天目茶碗が見つかった」と放映。その中で、古美術鑑定家として定評のある中島誠之助氏が「曜変天目茶碗に間違い
なし」と太鼓判を押して、なんと2,500万円の鑑定額をつけた。しかし、その後全国の視聴者や専門家から、「偽物だ」という多くのクレームが出て、本物か偽物かの蛍光X線分析装置を利用して本格的な調査が行われた。
その結果がどうなったのか、知る由もないので、インターネットで検索してみたら、結局は「本物かどうか、真相がはっきりしなかった。本物であるとも、偽物であるとも断言できない」と書かれており、ウヤムヤのまま。と
くに訴訟もされていないし、鑑定した中島氏も番組に今もって出演し続けられている。それほどに曜変天目茶碗には、未だに謎が多い国宝だ、ということだろう。ちなみに、3つの国宝の曜変天目茶碗の価値は、10億円を突破していると、ネットには記されている。それが中島氏の2,500万円という鑑定では、本物でもなさそうだ。
ボクが曜変天目茶碗に興味を持ったのは30歳代で、かなり古い。陶器との関係では田舎育ちとはいえ、隣町の茨城県笠間市には笠間焼が有名だし、その笠間焼から流れて、少し離れた栃木県益子町には益子焼があり、子ども
の頃から親しんでおり、いずれも身の回りの生活陶器だった。その源流の備前焼に大人になって触れてから、俄然興味を持ち始めた。
35歳頃だったか、記者時代にお世話をしたお礼にと、頂戴した備前焼の高価な月光杯が、たまらない肌さわりをしていて、特に酒好きのぐい飲みには並々と注いだお酒に映る妖しい光沢を醸し出していて、飽きのこない杯と
して長く愛好してきた。以来、土と炎の芸術といわれる備前焼にのめり込み、本場の岡山県は備前市の伊部(いんべ)地区に、機会あるたびに足を伸ばしてきた。玄人受けする通好みの人には、たまらない焼き物になっている。
現在、その代表格が異端ともいわれる森陶岳陶芸家で、5年前、史上最長の85㍍登り窯を完成させ、火入れしたことで話題をさらった。その門下生に上智大学大学院卒野村證券入・退社という異色の後輩松井宏之陶工がおり、
日夜作陶に挑んでいる、今、脂の乗った年齢となり、メキメキ頭角を現して、昨年は初のパリ展、ケルン展を成功させ、世界に飛躍、今年も恒例の東京展を楽しみにしているが、コロナ禍でいつ開催されるやら。
来年6月の「三菱の至宝展」に展示
こうして長らく焼き物を愛でる中での愛好家から、大阪・中之島の「東洋陶磁美術館」で、世界にない最高品の「曜変天目茶碗」が展示されているから、ぜひ足を運んだら、とのアドバイスを受けて知ったのが、「曜変天目」
との付き合いの始まり。以来、三越本店での展示会や静嘉堂文庫での展示などに駆け付け、何度見ても飽きがこないものだから、とりこになっている。
今回、2月中旬に高校時代の仲間4人を誘ったのも、これからは新型コロナ危機が本格化し、この展示会後の楽しみな談論風発しての宴会も、もうできなくなるのではないかという見通しを踏んでの会合であっただけに、この
日の夜の宴会の楽しさも、いつもの怒号も交じり、ひとしおだった。
なお、2020年7月8日~9月22日まで、東京・丸の内の三菱一号館美術館で、「三菱創業150年・三菱の至宝展」(国宝12点が集結)が開催されるのを楽しみにしていたが、コロナ禍には勝てず、来年の6月30日か
らに開催延期された。もちろん、国宝12点の目玉は、あの「曜変天目茶碗」である。楽しみが1年延びたと思えば、何のことはない。ただし、この美術館は入館料が高いので有名だから、心して。
(2020.10掲載)
掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2020.7月、夏号
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