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中国の朝鮮族がなくなる危機!
吉林省「延辺自治州」にも、圧迫の嵐

2021年6月のG7サミット(主要7カ国首脳会議)の共同宣言に盛られたように、中国による新疆ウイグル族への人権弾圧に対する国際社会の批判が、一段と高まっている。中国では現在進行形で、今日もまた現実に起きていること。なにもこれは西域地方の「新疆ウイグル自治区」だけでなく、チベット族やモンゴル族でも、そして香港にも自由を奪っていく非道な人権迫害が広がっている。

ところがもう一つ、中国国内で同じような少数民族の迫害が起きているところがある。これまで、ほとんど知られていないので、実際は今どのような状況になっているのかと知る由もなく、長らく心を痛めてきた。

その場所とは、中国東北部の吉林省内にある北朝鮮との国境地帯に広がる「延辺(えんぺん)朝鮮族自治州」。あまり聞きなれない名前で、ふだんは「延辺地区」と呼ばれている。羊肉料理の「延辺料理」は、知る人ぞ知る美味しい中国料理の一つ。ここに今、朝鮮族が200万人もが住み着いていて、ここにも「朝鮮族がなくなるのではないか」という厳しい民族危機に直面しているという。

2014年、「一帯一路」構想の発表の頃から人権弾圧が

これを知ったのは、今から7年も前の2014年9月のこと。これが今もって、報道されていないのが不思議なくらい。おそらく、北朝鮮との国境地帯の白頭山(中国名では「長白山」)、鴨緑江、図們江流域の中国側にあって、両国ともに鉄のカーテンに覆われているせいでもあろう。それが7年も前に漏れて出てきたのには、筆者もさすがに驚いた。それは、そこの「延辺地区」朝鮮族出身の中国人留学生によって、初めて知らされた。

2014年と言えば、中国の習近平国家主席が、「一帯一路」(シルクロード経済帯+21世紀海上シルクロードの広域経済圏)構想を発表した年。ちょうど、新疆ウイグル族への組織的な人権弾圧が容赦なく始まっていたころ、と一致する。

1人の中国人女子留学生が、
「研究発表会」の論文テーマに

初めて知らされたいきさつは、こうだ。東京にある公益法人の育英奨学財団があって、そこの財団では、全世界から日本にくる外国人留学生を選抜して毎年、奨学育成している。皆、日本語1級の資格を持っている大学生・大学院生ばかりで、その大学生の一人の中国人女性が、留学生を一堂に会しての研究発表会の席上――彼女が発表した論文のテーマが、なんと「中国の朝鮮族について」であった。

彼女は上手な日本語で、パワーポイントを使いながら、朝鮮人の移住の歴史と中国朝鮮族の形成過程として、古くは4世紀の古代高句麗王国の全盛時代、広開土王(好太王)が、中国東北部の遼東半島から朝鮮半島の北部まで領土を拡大して、日本のその当時の「倭」国と戦った歴史に始まり、その功績をたたえた「広開土王碑」が、吉林省の集安市に建立されているのを、近世になって発見されたそうだ、という。

【写真説明文=「広開土王(好太王)碑文拓本」第1面(複製)。東洋文庫(東京都文京区本駒込)の1階に、原寸大の拓本が掲げられている。巨大な柱状の石碑は、高さ6.3m、幅1.5m。現在、吉林省集安市の鴨緑江沿いに建てられている。高句麗の最盛期を築いた第19代広開土王(好太王、在位391~412年)の治績を後世に残すため、王の死後の414年に、子の第20代長寿王が建立。長い間、荒野の中に放置されていたのを、1880年に偶然発見された。文字のなかった日本の古代「倭」国の「空白の4世紀」時代の日朝関係史を知る上での大変貴重な史料。碑文には、「西暦400年、好太王が5万の大軍を派遣して、倭軍に占領された新羅を救援し、追い出した」ことなど、当時の倭軍=日本との戦いがあったことなどが記されている。】

満州族が天下を取った清朝時代となって、中国東北部は清朝発祥の地だけに白頭山の北岸地域から遼東半島の地までを「封禁地」として、移住はもとより、人参採取や狩猟などを目的とした外部からの立ち入りを禁止する政策を強化した。しかし実際は、漢族貧農が吉林、黒竜江地域に押し寄せる一方、朝鮮人も土地や天然資源を目当てに鴨緑江、図們江北岸地域に越境。清朝政府も段階的に「封禁政策」を解除し、朝鮮人の移民は事実上黙認されるようになった。今日の中国における朝鮮族の母体は、この清朝時代の初期に移住してきた人たちという。

中国語教育や中華民族へのさまざまな同化政策の強化で

朝鮮が日本の植民地支配下に落ちた1910年(日韓併合)頃の中国東北部の朝鮮人人口は20万人、うち延辺地区に15万人とわずかだったが、それ以降、朝鮮からの移住民が急増。1949年の中国共産党による新中国誕生後は、中国「少数民族」として認定され、その頃の朝鮮族人口は100万人を超えた。

新中国による少数民族への教育は、朝鮮歴史・地理が世界史の中に吸収され、おもに中国の歴史・地理を学ばせ、民族教育が重視されることはなかった。以後、現在まで様々な困難を乗り越えながらも、何とか朝鮮族のアイデンティティを維持してきたが、今日になって、朝鮮族がなくなる危機に直面している、と訴える。

具体的には、朝鮮語教育から中国語教育の強化による教科書の変更や朝鮮族学校の廃校、民族の誇りが抹消される中華民族へのさまざまな同化政策などで、こうした現実的なテーマを、研究発表の動機として選んだことを強調した。発表会終了後のわれわれ講師陣との交流会でも、若々しい彼女ではあったが、どことなくうつぶせがちな、うつろな眼がやけに印象に残った。

あれから7年―――。当時、大学生だった彼女は、とうに日本の国立大学を卒業し今ごろ、どこでどうしているのだろうか。育英奨学財団の方でも、連絡がとれないという。幸せになっていることを祈るばかりだ。

(2021.7掲載)

掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2021.7月、夏号

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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