不動産ジャーナリスト 大越事務所
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畏兄・阿部さん、舌癌との苦闘10年間を悼む
~~「空の空、空の空、いっさいは空である」~~

朝日新聞の経済部記者だった阿部さんとは、若かりし頃からの新聞記者生活に始まり、亡くなる直前までジャーナリズムの世界で、ともに手を組んで日本不動産ジャーナリスト会議での活動をしてきただけに、想いはひとしおだ。

ボクとは2つ年上で、ゴルフ、麻雀、飲み食いの楽しい想い出の数々は、とうに忘れてしまっているが、ともに不遇をかこった時のことは忘れられない。特に、ボクの不遇の時には、頼みもしないのに、二人での海外取材を企画・実行してくれて、厚い涙をもらう恩義を受けた。

しかし、阿部さんの人生の中でのとても比較のできない辛い辛い不幸・不遇を考えると、ボクの不幸など爪のアカほどにもならない。それでいて、阿部さんは少しもひるまず愚痴らず、人の悪口も言わず恨まず、いつも前を向いてプラス思考をしてきた。とくに強靭な心の強さを感じたのは、あの松本サリン事件(19歳の大学生だった一人息子が即死)の夜からの1週間後、飲み屋に呼び出された時。「大越くん、ボクは決して落ち込んでいないから安心して。青春時代(日比谷高校→東大経済)の苦しみの体験は、もっと悲しかったし、今は女房の方が泣き崩れていて、こっちの方が心配だ」と、自らを励ましていた。

2011年、舌癌を患ってからの最後の別れになるまでの、壮絶な10年間の闘病生活を振り返ってみても、老境を感じさせずに絶えず前向きだったことに、改めて驚いている。一度目のオペは連続3回、10時間の難手術で、胸に穴を開け気管支で呼吸させて、右側の舌を4割も切除、そこに手首の筋肉と太ももの皮膚を移植する。オペ後がまた大変な苦労だ。舌の回転がもつれず上手にいくようにというリハビリの猛特訓。二度目の2017年のオペはさらにひどく、舌の裏側の深い所を切除せざるを得ず、食べることがさらに不自由になり、昼食時には、奥さまの作ったとろみ付けの特製おかゆを持参。言葉も「カ行」の発音がうまくできないと言っては熱弁をふるい、他人に何度も理解してもらえるようにと、ものすごい努力の繰り返し。

そんなある日―――。ある国際奨学財団による海外留学生の「研究発表会」の席上、講師だった阿部さんが突然、日本語のたどたどしい中国人の女子留学生に対して(ご本人の日本語ももちろん、たどたどしくなってはいたが)、英語で質問したのには、驚いた。それが相手の留学生にも十分に理解され、上手な英語での返答が返ってきた。終了後、阿部さんから「娘に、英会話学校に習いに行くと舌が滑らかに発音できるようになるからいいよ、と言われ、娘と一緒に毎週英会話学校に通っているんだ」と、涙ぐましい発音訓練をしていることを聞かされた。

三度目のオペは旧ろう下旬。突然、メールが入ってきて、「口から食べるのが不自由になってきたので、胃ろうを作りました。何とも厄介な病気です。女房と一緒になって操作を勉強していきます」と述べ、「大越くん、残り少ない人生は『世のため、人のため』に頑張りましょう。もう、どれだけ頑張れるか、わかりませんが」と、結ばれていた―――。

これが阿部さんからの最後のメールとなり、別れの言葉となってしまった。それから半年後の2021年6月4日、新型コロナ感染者が蔓延する中、緊急事態宣言が発せられ続け、とうとう再会もできずに天国に逝ってしまった。 合掌

(2021.7掲載)

掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2021.7月、夏号

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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