不動産ジャーナリスト 大越事務所
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日本不動産ジャーナリスト会議「創立30周年記念誌原稿」
メディアの変貌がどうなろうとも、ジャーナリズムの“視点”で

上智大学で専攻した新聞学科を卒業して以来、日刊工業新聞の記者として、マスコミの 世界に入って51年目、あっという間に半世紀を過ぎてしまった。30年前の日本不動産ジャーナリストの設立総会の時は、まさに不動産バブルの絶頂期、大変な熱気に包まれていたのを、今もはっきりと記憶している。(しかし、小生は当時、機械・電機産業のデスクをしていたため、お声がかかり参加はしたものの加入はせず、その後、住宅不動産・ゼネコンの担当デスクになって加入。)

インターネットの普及で、激しいメディアの興亡・盛衰

思えば、設立時の1989年(平成元年)は、エポックメイキングな年だった。強烈な金利の引き上げがこれでもかとばかりに、5回も連続して実施されたにもかかわらず、ニッポン列島は、バブル景気に浮かれたまま。年末の株価が史上最高値の考えられないような超高値3万8915円を付け、年明けには空前の4万円台乗せへと誰しもが疑わなかった。ところが、翌年の1990年を境に不動産バブル経済がはじけ、以来20年以上にわたる未曾有の悪性デフレに呻吟してきた。

あれから30年――。インターネットの出現で経済社会の構造が一変し、企業形態、会社経営、日常活動までもが様変わりした。わがマスコミ界も激変したのは言うまでもない。インターネット以前のマスコミといえば、新聞、テレビ、出版が主役で、良くも悪くも記者クラブ全盛の護送船団時代であった。ところが、平成に入ってインターネットが普及するにつれ、フェイスブックやツイッター、ラインなどの各種交流サイトのSNSが普及し、スマートフォンの出現が決定打となり、あぐらをかいていた既成メディアが大幅後退し、今やインターネットへの広告費が、テレビの広告費を上回る時代となってしまった。

こうしたネット革命が進行する中、メディアの変貌・盛衰は特に激しいものがあり、勢い余ってフェイクニュースが世界中にあふれ出し、何が真実の報道なのか、という我々の拠って立つジャーナリズムの原点さえ、問われ出してきている。わずか30年というのに、変われば変わるものである。この後もまた、AI(人工知能)の普及により、変化のスピードはドッグイヤーとなって、さらに早まろう。

一時、マスコミから離れ、実業の世界を経験

「変わった」と言えば、この期間、小生の活躍の場もマスコミ界の端くれから離れ、当時はマンション業界の雄・大京に迎えられ、10年余にわたって業界人となった。いわば、マスコミという虚業の世界から、実業界のプレーヤーとなった。実業界の世界は、それまでのマスコミ界とは、天と地の違いほどあった。その落差の大きさを痛感させられた一方、自分が昨日までいたジャーナリズムの世界を、立場を180℃ガラリと変えて観察でき、収穫も多かった。その具体的な一例をあげてみよう。

あれは2001年、竹中平蔵経済財政・金融担当大臣が打ち出した「金融再生プログラム」 (通称「竹中プラン」)で、不良債権処理を推進するため、メガバンクへの公的資金を注入し、銀行を再編。その過剰融資先の実質債務超過に陥っている借金過多大企業の整理統合の矢面に、「2つのD(ダイエーと大京)」と言われた大京が標的にされた時であった。

不動産協会の懇親パーティーがあり、副理事長に就任していた大京の社長と小生(当時の肩書は取締役広報部長兼宣伝部長)が並んで立っていたところに、日本経済新聞元記者でテレビ東京のWBSニュースキャスターに(現都知事の小池百合子キャスターとコンビを組んで)なっていたU記者が、ニコニコと歩み寄り、「社長! 大量の不良債務、不良資産を抱え込んで大変ですね」とまでは、その通りなのだが、「その隣にいる大越さんこそ、最大の不良資産で、その処理が大変でしょう」と言ったのには、社長も大仰天。さらに、そのあと挨拶に来た朝日新聞の専務になっていたかと思うが、建設省記者クラブ(現国交省記者クラブ)時代の仲間のK記者も口が悪く、示し合わせていたかのように、まったく同じ内容のことを社長に言って立ち去った。

これには、メガバンクのエリート副頭取から再建社長に送り込まれてきたさすがの大物社長もビックリし、直後に、社長からは「ブン屋と言われるジャーナリストの世界も厳しいんですね。同じ仲間内でも、あのように人前でもズケズケ言うとはね」と、慰められた。2人とも小生に何の恨みもツラミもなく、ただただ冗談気味で悪げなく挨拶したつもりなのだが、やはり、実業の世界ではこんな会話などは交わされもしない。ましてや、会社が市場から退場を迫られている危急存亡の時にである。

ジャーナリズムの原点を踏み外さずに、本来の使命を

結局、大京は悲しいかな、権力の生贄にされてしまった。助っ人として実業の世界に入った身としては、ここで大変貴重な得難い経験を積んだ。お役目も終わり、また自由なジャーナリズムの世界に戻ってきたばかりの時は、水を得た魚のごとく嬉しかった。誰に遠慮するでもなく、忖度をする必要もなく、自由に発言でき、率直に言い合えて記事が書ける。これがジャーナリズムの得難い原点であろう。

デジタル革命の真っただ中にあって、メディアの主役がインターネットになりつつあるという大変貌の時期にあって、それが今後どのような方向に展開していこうとも、その基本となるジャーナリズムの原点、視点は、変わらないと思う。その視点に立って、踏み外さずに、ジャーナリズムの本来の使命を、ナメクジのような一老兵となった今でも社会の隅っこにいて、果たしていきたいと真面目に思っている。

(2019.10掲載)

掲載:「日本不動産ジャーナリスト会議創立30周年記念誌」 2019.10

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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