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猫を棄てる――今も消えずにトラウマに

『文芸春秋』は近くの本屋で、いつも立ち読み、斜め読みしてきたが、発売されたばかりの令和元年6月号は、いつもとは違っていた。ペラペラめくっていくと、村上春樹の『猫を棄てる――』の自伝的特別寄稿文が飛び込んできた。飛び上るほどの強い衝撃を受けた。彼とは同じ70歳代前半の同年代。彼も少年時代、ボクと同様、猫を棄てに行ったのか――と。立ち読みを続けるには30ページもあるので、衝動買いをしてしまった。

興味津々、早く読みたい。その期待は裏切られなかった。同じ小学生時代、それも昭和30年代の初め頃、暑い夏の午後、自転車に乗ってまで、猫を棄てに行った状況は、全く同じだった。

あの戦争の向きあい方は、別として、違っていたのは、棄てに行った場所。彼は兵庫県西宮市の夙川の自宅から、河口の香櫨園の海に。ボクは茨城県の今は合併で水戸市の隣町になった城里町の寒村の自宅から、すぐ近くの那珂川の中流に。もっと違っていたのは、彼は父と一緒に棄てに行ったが、猫が家に戻ってきてしまった。一人で棄てに行ったボクは、泣き叫ぶ子猫を段ボール箱に詰め、非情にも那珂川の急流に流してしまった。

これが以後、幼いボクの心に重くのしかかり、どこに行っても、大人になっても猫を遠ざける、今でいう“トラウマ”になってしまった。

敗戦後の混乱と貧困の時代、片田舎に生まれ育ったとはいえ、9人の兄弟姉妹(すでに4人は若死に)のわが家も生きるのに必死で、猫はもちろん、ニワトリもウサギも、牛乳の代わりにヤギも飼っていた。ヤギの乳しぼりはボクの当番で、その頃、ヤギの出産に出合い、産まれ出てくるのをじーっと見つめていて、子ども心にとても気分が高揚したのを、今も鮮明に覚えている。ニワトリの世話も、タマゴを産み落とすので楽しかったが、いつも身近にいた何匹かの猫は放任だった。

ある日、猫が子を産み、増えすぎたのだろう、母が棄ててと本当に言ったのかどうかも、今となってはあやふやの記憶しかないので、確かめようもない。ただ、困った母の顔を見て、末っ子の甘えん坊だったボクが気を回し過ぎたのかも知れない。今もハッキリと覚えているのは、そのあと、ボクが川に棄てに行ったという事実だ。

その当時は今と違って、猫を棄てるのに、さほどの抵抗感がなかったとはいえ、いざ草むらの多い川原に出てみると可哀そうになり、ヒバリの巣のあるところの近くに棄て置いた。もう、夕方近くになっていただろうか、釣り人ひとりの人影もなく、青い薄モヤがたちこめてきて、シンと静まりかえっていた。周りを見渡すと、余計に薄気味悪くなり、棄てた猫から遠ざかるほどに、なぜか鳴き声がより激しくなってきたようなので、戻って段ボール箱ごと拾い上げた。さあ、どう始末しようか――。

あれこれ思案投げ首した結果、当初に考えていた通りの、思いっ切り川の流れの激しく波立つ(当時よく泳いでいた)急流のところにいって、一気に流してしまおうと決めた。ゆるい流れの灯篭流しと違い、勢いよく水が砕けアワの飛び散る流れに乗せて、アッという間に流れ去って行ってしまった。猫の鳴き声も、瀬音激しくかき消され、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。すぐ、流れを背にして、立ち去った。

(2019.09掲載)

掲載:会報「サロン・ド・ムッシュ」2019.7 夏号

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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